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山分義一氏を偲んで 株式会社 成学社 代表取締役 太田明弘

2016-12-01

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 大阪の八尾といえば、往年の大スター勝新太郎が河内の暴れ者、八尾の朝吉を演じて大ヒットした映画『悪名』を思い出す向きも少なくないだろう。人情派の朝吉親分が田宮二郎の扮する弟分のモートルの貞と組んで、巷に蔓延る悪党たちをコテンパンに退治していくところが痛快だった。予想外の人気に、映画はシリーズ化され16作まで続いた。第1作が出されたのは1961年、昭和36年のことだった。

 奇しくもその前年、同じ八尾を舞台に、19歳の青年が志を抱いて塾人としてのドラマを始めることになった。山分義一氏。昭和15年に八尾に生まれ育ったこの青年は、関西大学二回生のときに、久宝寺の自宅の一室で小さな塾を開いた。これがのちに関西屈指の大手塾へと発展する『向学塾』の始まりとなる。そしてこの山分氏もまた八尾を愛し、面倒見の良さと人情味ある人柄で周りから塾界の「八尾の親分」と慕われた人であった。

 私は関西の塾人として、山分義一氏にかなり大きな影響を受けた。氏が開塾した向学塾は、昭和50年代には大阪の近鉄沿線を中心に塾生5000名ほどの規模にまで発展し、さらにはライバルでもあった森本一氏率いる進学塾メリックと劇的な合併を成し遂げ、株式会社ウィンとして大証二部への株式上場を果たした。私が自塾の上場を決意したのも、この前例に学んだ点が大きい。

 山分氏は豪放な性格であるように見えて、実は変化に対応するための柔軟な発想力と緻密な計算力を備えた人だった。ひとたび上場を決意すれば、昨日の敵を味方に引き込んでも条件を整えていく発想力と実行力は私にとって新鮮な驚きだった。と同時に、これなら自分にも上場できるかもしれないという勇気を与えられた。

 リーダーには、後進がどう頑張っても真似のできないタイプと、頑張ればどうにか手の届きそうなタイプの二種がある。私にとっては、今は亡き藤原学園の藤原信先生が前者にあたり、山分氏は後者の例にあたる。しかし、人に勇気と希望を与え、人を動かしていこうと思えば、リーダーたらん者は、敢えて後進の手に届きそうな範囲に位置するほうが有効であるように思う。その意味において、私は山分氏が私にとって最適な模範を示してくれたことに感謝するとともに、関西塾界の後輩として心から誇りに思う。

 ちなみに関西の塾界は面倒見のよい経営者が多い。特に私は、昭和50年代の塾の急成長時代に躍進した、いわば第二世代の経営者に可愛がられた。山分氏はじめ、森本一氏、ウィザスの堀川一晃氏、KECの木村節三氏、イングの青木辰二氏、辻本加平氏、祐学社の大橋勝也氏、これらの方々はときにはシビアな競合関係となりつつも、大きな度量で私のような後輩を受け入れ、親しく接してくれた。山分氏が還暦を迎えたときは、ご夫婦への祝いを兼ねて皆で石垣島に行こうということなり、私も誘いを受けた。今は本当に懐かしい思い出となっている。

 ウィンを退任された後、山分氏はさぞかしのんびり余生を楽しむものとばかり思い込んでいたら、次にエデュケーショナルネットワークの関西責任者として迎えられ、なお精力的に働き続ける元気強さを見せた。しかし、今年の6月、いよいよ同社もリタイアされることになり、弊社までわざわざ挨拶に来てくださった。快活なお話と健康そうな肌つやはいつも通りであったが、ご家族のことを語っておられるときに、目を潤まさられるシーンがあった。家族愛の深さはよく知っていたが、歳を重ねて涙もろくなられたような印象を受け、少し気がかりだった。だが、まさかこの3月後に天に召されるなど夢にも思わなかった。

 病魔に襲われ余命が短いとの知らせを受けて、信じられない思いで、山分氏の入院先に当社の永井博と一緒に見舞いに駆けつけたのは9月初旬のことだった。病室のドアを開けたとたん、たった3カ月の間にまるで別人のように痩せこけてしまった山分氏の顔を見て、第一声を発するに窮してしまった。健康には人一倍気をつけてこられた本人の無念たるや想像に余りある。偶然にも、少しして立志舘進学教室の中村賢二社長と山分氏のかつての部下であられた山内恭介氏も見舞いに来られ、皆で昔話に話が咲いた。次は年末までにまた見舞いに来て、話の続きをすることを約束して部屋を辞すことになったが、山分氏は笑みを浮かべつつも覚悟を決められたご様子だった。

 帰り際、山分さんは衰弱著しい病身をおして奥様に手を携えられながら力を振り絞りエレベーターまで皆を見送りにきてくださった。ありがとう山分さん。僕はエレベーターの扉が閉まりゆく刹那、あなたが伝えようとしてくれた、これが今生の別れとなることの意味を理解して胸が熱くなった。それにしても、この1週間後に逝ってしまうとは、なんたる世の無常か。

 永六輔氏は人の死には二種あると言った。一つはむろん生命の終焉であり、あと一つは人々の記憶の中から消え去られてしまうことだ。関西私塾界は藤原信先生に続き、次に山分義一先生をなくした。後進の私塾人が、決してこれら先輩方の尊い功績に学び、またこれを忘れることなく次の世代に語り継ぐことが一番の供養になると思う。


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