
私教育を1つの力に
本当に日本に必要な教育は何か?
学習指導要領の改定とその限界
文部科学省は2025年9月5日、「小中高の次期学習指導要領」の枠組みを中央教育審議会特別部会に提示した。学習指導要領は概ね10年ごとに改定され、今回は2030年度から順次実施される予定である。柱の一つは「学校に裁量を認める」という方針で、授業時間の減少や新教科「情報」の導入、個々の学びへの柔軟性の強化が謳われている。
一見すると前進のようだが、問題は「どこまで本気で柔軟に取り組めるか」また「教師の能力」も問題だ。日本の教育は長く「画一性」を前提に築かれてきた。公平性を保つため、どの学校も同じ内容を同じ時間に学ばせる仕組みは、戦後の復興期には大きな力を発揮した。しかし今日、社会や経済が急速に多様化し、AIやグローバル化が進む時代において、全国一律の教育は子どもの個性や可能性を制約するものとなっている。子ども自身にとっても苦痛ではないか。人は持って生まれた能力においては平等とは言えないのだ。
日本の教育の「失われた30年」
アメリカから帰国した直後に『アメリカの学校生活』『カリフォルニアのあかねちゃん』という2冊の本を出版した。アメリカの一見無秩序に見える教育について書いた本である。当時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれ、周りには車、テレビなどの家電、カメラなど日本製品に溢れていた。日本の教育も世界一だと信じられていた。
だがその後の30年、日本の企業ランキングは大きく後退した。教育においても同様だ。PISA調査でも読解力や数学的リテラシーで上位を維持できなくなりつつある。世界の企業でも上位は、GAFAMなどの企業群が占め、それらを支えるのは米国や中国で育った多様で創造的な人材だ。
なぜ差がついたのか。それは30年前の本にすでに示されていた。アメリカは「多様性」を尊重し、子どもに自分の意見を表現させ、議論させる文化を持っていた。一見、無秩序に見えた教育システムが、子どもの能力を引き出すのに適していたということか。
文科省の改革は「うわべ」だけ
今回の学習指導要領改定でも「柔軟性」や「裁量拡大」という言葉は並ぶが、根本の構造は変わっていない。世間一般の勉強の目的が、「より高い偏差値の高校や大学に入学すること」に置かれているからだ。学校も保護者も受験産業も、その枠組みに依存しているため、抜本的な変革は実現しないだろう。結果として、自分の能力に自信があり挑戦的な子どもたちは、高校を出るとアメリカなど海外の大学に進学する傾向が出ている。この流れは年々強まっていると聞いている。
自分を知り、個々の学びを尊重する教育へ
これからの教育に必要なのは「個々の学びを尊重する」仕組みと、それを認める風土だろう。子どもが小中学校の段階で「自分は将来、何がやりたいのか」、「自分は何が得意で、何が不得意なのか」、つまり自分自身をある程度知り、その上で自分に合った高校、大学、専門学校に進むことを選べる社会が必要だ。
日本には真面目で勤勉な子どもが多い。僕の個人的な意見だが、今の教育システムでは、未来を切り開く力は育たないと思う。子どもながらも、もっと自分自身を知り、創造力豊かな考える力を身に付けてほしい。そのためには、授業時間の削減以上に、授業の在り方、内容を転換する必要がある。もっと自由で自ら作り出す時間を増やしてほしい。極端に言えば、小学校では読み書きソロバン、さらに道徳を含めた常識、良識の学習が出来ればいい。あとは遊び、読書、多くの人との対話を通して広く社会性を身に付ける。確かに、コレを決心、実行することは難しいし冒険だ。
高校・大学改革と受験制度
最も重要な課題は、小中学校の根本的改革、そして高校と大学の受験制度の見直しだろう。現在の大学入試は多少の改革はあるが、依然として「知識の量」を測ることが中心になっている。だが世界のトップ大学では、論理的思考力、表現力、リーダーシップ、そして社会的貢献への姿勢が重視されている。
日本でも、推薦入試や総合型選抜が広がりつつあるが、多くの場合、生徒の「青田買い」にすぎない。一般入試中心の構造は変わっていない。高校入試についても同様だ。偏差値に基づく序列が中心となっている。
高校、大学の受験制度を根本から変えなければ、日本の教育改革はうわべだけで終わるだろう。具体的には大学入学には、大学教育に必要な基礎知識を明示し、それをクリアーすれば本人のやる気を重視し、論文、面接、課外活動を評価する仕組みに転換すればいい。これにより受験勉強は軽減され、自分の興味、得意を生かした進路選択が可能になる。
本当に必要な教育とは何か
では、「本当に日本に必要な教育」とは何か。それは多様性を前提に、子ども一人ひとりの可能性を最大限に伸ばす教育だろう。小学校や中学校の時期に大切なのは、自分の性格や得意・不得意を理解し「自分を知る」ことだ。教師はその手助けをし、子どもが自らの特性を見つめられるようにする必要がある。
その上で、高校や大学は偏差値やランキングではなく、自分の意思で将来を考え、選択する場所であるべきだ。専門学校であっても構わない。重要なのは、それが自分の将来につながる選択であるということだ。こうした教育が実現すれば、早期退学や企業での退職も減るだろう。
人間にはそれぞれ異なる才能がある。勉強やスポーツ、音楽や芸術といった目立つ分野だけでなく、優しさ、忍耐力、細やかな気配り、共感力なども立派な才能であり、生きる力だ。しかし現在の日本の教育は、その多様な才能に十分な目を向けていない。知識を詰め込むだけの学習では、子どもは自分の本当の力を発見できず、不登校や大学・企業からの早期離脱につながる。子どもたちが「行きたくなる学校」「学びたいと思える場」を整えることこそ重要だ。
今こそ「教育の再構成」が必要だ。知識の量を競うのではなく、自分の得意・不得意を理解し、それに基づいて進路を選ぶ教育へと変えていくべきだ。小中学校の段階で自分と向き合う経験を持てば、その後の高校・大学・職業選択も自分に合ったものになるだろう。「真の教育」とは、子ども一人ひとりの中に眠る才能を見つけ出し、供に育むことだ。発想力や創造性は単なる知識の積み重ねではなく、多様な経験や個性、感性、広い視野の結びつきによって初めて生まれる。
なぜ日本ではスティーブ・ジョブズやジェフ・ベゾス、マーク・ザッカーバーグのような人物が生まれなかったのか。その答えは教育にある。才能を見つけ、伸ばす教育こそが未来の日本に必要であると確信している。ノーベル賞は取れても、社会実装の発想は心もとない。
この実現には、文部科学省の制度改革だけでなく、学校、保護者、そして社会全体の意識改革が欠かせない。教育は国家百年の計であり、未来の私教育を1つの力に作家 髙嶋哲夫 氏TOPICS日本をつくる基盤だ。
文科省の新指導要領は一歩前進ではある。しかし、本質的な課題は「受験制度」と「画一的な価値観」にある。これを改めない限り、日本の教育改革は形だけで終わってしまうだろう。ゴメンナサイ、勝手なことを言って。たぶん、「勝手なことを言うな」「実現などしっこない」のレベルでしょう。大いに言葉足らずです。
作家 高嶋哲夫 氏
教育関係の著作 「いじめへの反旗」(集英社文庫)「アメリカの学校生活」「カリフォルニアのあかねちゃん」「風をつかまえて」「神童」「塾を学校に」「公立学校がなくなる」など多数。
https://takashimatetsuo.jimdofree.com/

































